南無阿弥陀仏
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東本願寺
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親鸞聖人
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真宗大谷派
親鸞は京都に生まれて9歳で得度し、その後20年間に亘り比叡山で修行をするが、比叡山の仏教に絶望して浄土宗の宗祖法然を訪ねる。そこで放念の専修念仏の教えに感銘し入門する。
しかし、念仏禁止例が発布され越後に流罪になる。その先で結婚した親鸞は非僧非俗の境地をひらき、自らを「愚禿親鸞(ぐとくしんらん)」と名乗る。流罪が許された後、妻子を伴って関東で布教を始める。そして浄土真宗の根本聖典となる『教行信証』を執筆、この年が立教開宗とされている。
親鸞の死後、教団は次第に衰微していくが、第八世蓮如によって再興を果たす。巨大教団に発展したため、他宗派や大名からの弾圧が始まる。織田信長の本願寺攻略をはじめ当時の権力者に翻弄され、西本願寺と東本願寺にわかれるが宗勢は衰えることなく現在に至る。
大谷大学(京都)、光華女子大学(京都)、同朋大学(名古屋)
観無量寿経、無量寿経、阿弥陀経、教行信証、正信念仏偈
仏さまになるには、修行によって煩悩を断ち切り、善根を積むことが必要であるとされてきた。しかし、それを毎日続けていくことは困難であるので阿弥陀如来はそのような者を救おうと誓い、浄土を建立した。
この阿弥陀如来の建立した浄土に生まれる道を説くのが浄土真宗の教え。また、浄土真宗では、「阿弥陀如来に帰依すると決めた時点で、誰でも仏になることが約束される」としている。
阿弥陀如来に帰依した後の念仏は仏になるために唱えるのではなく、仏になれた感謝の表現として唱えるものである。自分の修行などによって極楽浄土へ往生しようとする「自力念仏」ではなく、阿弥陀如来を信じ感謝の心と共に唱える「他力念仏」が浄土真宗の念仏である。
阿弥陀如来
(右)帰命尽十方無碍光如来(十字名号)・親鸞
(左)南無不可思議光如来(九字名号)・蓮如
名号と正信偈、念仏和讃、回向、御文。「南無阿弥陀仏」と唱える。
絵像の阿弥陀如来を中央に飾ることが多いようだが、最近では木像を飾ることもある。
そして向かって右に「帰命尽十方無碍光如来」の十字名号を、左には「南無不可思議光如来」の九字名号を飾る。また右に親鸞聖人、左に蓮如上人の絵像を掛けることもある。脇掛が十字名号・九字名号の場合、その前に仏飯器は供えない。
※地域や仏壇の大きさによってまつり方が違う場合がありますので、正しくは菩提寺にお聞きください。