仏壇の須弥壇の中央に安置する本尊
お仏壇の内陣には、御本尊に坐釈迦(釈迦如来坐像)、座弥陀(阿弥陀如来坐像)を安置します。
釈迦如来像(しゃかにょらいざぞう)/ 坐釈迦 結跏趺坐(けっかふざ)のお姿で菩提樹の下で悟りを開いた時のお姿を表しています。手の組み方ぐは禅定印と呼ばれるものです。
阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)/ 坐弥陀 手を「阿弥陀の定印」に組んだお姿の仏像です。
本尊の両脇に安置する脇侍(わきじ・きょうじ)
左の脇侍には伝教大師・最澄(さいちょう)、右の脇侍には天台大師・智顗(ちぎ)を安置します。
天台宗の教えと宗派の知識
天台宗は仏教の色々の教えを包括しており、鎌倉仏教の法然、親鸞、栄西、道元らは、天台宗の本山の比叡山で学び、やがて宗派を立ち上げました。様々な日本文化は元来、仏教を根本として生まれてきたが、天台宗は日本仏教の根本を作ったことから、「日本文化の母」とも呼ばれています。
最澄が果たした役割で最も大きなものは、大乗戒律をもたらし、戒壇を作ったことにありあます。そのことが現在の日本仏教としての日本仏教の基盤を作りました。
天台宗は元々「法華経」の教えから成り立っており、「密教」の教えが加わり、平安時代中期以降には「浄土経」の教えが広がりました。
「一隅(いちぐう)を照らす、此れすなわち国の宝なり」という最澄の言葉は天台宗を代表する言葉となっています。
最澄とはどんな方ですか
伝教大師最澄(でんぎょうだいしさいちょう・767〜822)は奈良時代末期に生まれ、平安時代初期に比叡山延暦寺を創建しました。唐に留学し、『法華経』を中心とする天台宗の教えを日本に伝えました。『法華経』の教えは「だれもが仏になることが約束されている」というものです。最澄がもたらした『法華経』を中心と教えにより、日本は大乗仏教の国としての歴史を歩むことになりした。
智顗とはどんな方ですか
天台大師智顗(てんだいだいしちぎ・538〜598)は中国・南北朝から随(ずい)の時代の人で、天台宗の教えを確立した方です。