東京仏壇は、唐木仏壇の一つです。
唐木仏壇は東京以外でも、徳島、静岡、大阪、会津若松で造られています。
「唐木」とは、黒檀や紫壇など高級輸入木材のことを指しており、この木材で作られたのが唐木仏壇です。木目を活かしたもので長い年月の使用に耐え、扱いやすいことが特徴です。明治時代初期頃から作られるようになったようです。
唐木仏壇は特に東京で発達し、関東大震災後に流行したといわれています。今では首都圏は、唐木仏壇の方が塗仏壇の利用より多いようです。それは関東、東海・東北地方は浄土真宗の門徒が少ないからだと言われています。
その唐木仏壇の中でも、東京では最も高価な唐木仏壇が手造りで作られています。東京は派手なものを好まない渋好みの伝統がありますので、錺(かざり)金具を使わない高級さが特色です。
江戸の仏壇は、徳川家康が1603年に征夷大将軍として江戸幕府を築いて以来の宗教政策による仏寺の建立・発展に伴う必然から生まれたものです。八代将軍吉宗時代、家康の祈願寺であった浅草寺の門前町の支配が寺社奉行から町方に移管されるようになって、なお一層仏寺が繁栄し、一般市民までも競って仏壇・仏具を求めるようになりました。その少し前より、仏壇の需要に応えるように江戸指物師や仏師が独自の技法・技術で比較的淡白な装飾のない仏壇をこしらえたのが始まりとされています。
東京仏壇に欠かせない唐木材が使用されたのは、嘉永年間の1840年頃、江戸仏師三代目安田松慶が始まりと伝えられています。木地本来の持ち味を生かしたもので古典的な優美さがあり、その上実用本位に丈夫で長持ちする仏壇を丹念に手造りしたのが今日の東京仏壇です。
今日、東京仏壇の製造に携わっている数は約百名余り。唐木仏壇を伝統的な手法で製造する技術は大変根気が必要で、習得するのに長い年月を必要とするため職人の育成に困難な場合が多いのです。しかしながら、かたくななまでに、伝統的な技術と江戸気質を守り続けている人々が、東京仏壇の職人なのです。